レストランを閉店して丸2年、イベントの時だけの営業で食事を楽しみにしていただいていたお客様には申し訳なく、私どもにとっても残念な状況ですが、ジャムと鹿野茶の製造に精を出している一年でした。(お陰様でともに人気を博しております)
たぬきの舘、実家の迎春準備も整いました。
来年はたぬきのおばさんの干支(巳年)です。
老体に鞭打ってですがたぬきの舘、たぬきの庭を守っていきたいと思っています。
近くにお越しの時は立ち寄りください。
みなさまがよいお年をお迎えくださいますようお祈りしています。
「おじさんのひとり言」カテゴリーアーカイブ
「山野草のエキ」に古い看板を設置
山野草が保護育成されている「山野草のエキ」。
きのうは保護活動の日でした。その活動の一環で、
現地が過去スキー場であったことを示す看板が近くの公民館にあったのですが、公民館が解体されることになりその看板を「山野草のエキ」前に取り付けました。
現地がスキー場であったこと、また競馬場であったことを知っている人もわずかでしょうが鹿野の歴史です。
15年余り前、私のブログにそのことを投稿したものをリンクします。
鹿野のスキー場鹿野のスキー場!!: 農家レストランたぬき 徒然日記 (cocolog-nifty.com)
実家の用材は濃い茶色・「弁柄」!
築(昭和6年)の実家です。
柱、梁、天井が濃い茶色です。べんがら(弁柄)です。
べんがらという塗料が塗ってあります。その証拠が実家の物置を整理していて見つけました。
今はほとんど生産されていない塗料のようです。
体に優しく、劣化しにくく、理想の材料のようです。
インターネットでしらべると、・・
この実家を建築した大工の棟梁は周南市の現副市長の祖父にあたる方のようです。
棟木に取り付けてある書傳です。
そんな実家です。大切にしていきたいものです。
御日待ち祭を行いました
「御日待ち」を行いました。
「御日待ち」とは、その字の通り、日の出を待つという神事ですが今では家内安全を願うお祀りとなっています。
「御日待ち」とは、その字の通り、日の出を待つという神事ですが今では家内安全を願うお祀りとなっています。
我が家ではこの時期の行います。
・・と言うのは・・
昭和58年、何年前になるでしょうか、おじさんが車ごと17メート下のダム湖に転落したのですが怪我一つせずに生還しました。それが5月16日です。その日をずっと忘れず我が家の安全の日とするべくこの時期に「御日待ち」をしています。
・・と言うのは・・
昭和58年、何年前になるでしょうか、おじさんが車ごと17メート下のダム湖に転落したのですが怪我一つせずに生還しました。それが5月16日です。その日をずっと忘れず我が家の安全の日とするべくこの時期に「御日待ち」をしています。
二所山田神社の宮本宮司さんに来ていただき、レストランのテーブルを臨時の祭壇にして家じゅうの神々の御幣を切り替えお祭りをしていただきました。そして宮本宮司様と家族で会食しました。
これで我が家の一年の始まりです。